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オロンコ岩のトンネルを抜けた駐車場に建っていました。 28歳で、蝦夷地(現在の北海道)へ向かい、 約13年間に計6回の調査を行ったそうです。 明治政府から蝦夷地に代わる名称を依頼され 当初は「北加伊道」とつけられ「北の大地に住む人の国」という意味であり、 その後「加伊」が「海」に変わったそうです。
【高評価したい点】 ・北海道の功労者をしっかり評価し後世に評価しており、碑の隣の開設も詳しい。北海道開拓に貢献し、千島列島・樺太・北海道の研究に従事。碑は知床に訪れた際に詠んだ句が刻まれている。 【低評価したい点】 ・無し 【その他】 ・オロンコ岩を抜け、有料駐車場の端に有。なかなか観光客がいないので、穴場なのだろう。
オロンコ岩のトンネルぬけて右手です。近くのホテルに宿泊中、ホテルから夕日は見られないというので、徒歩で散策中発見。無知で、この方がわからずネットで検索。開拓者だったのですね。この碑の上にカモメがとまっていてオブジェ?と思ったら、飛んで行ってしまいました。なかなかの名場面でした。
北方探検家で北海道の名付け親でもある松浦武四郎 は、知床にも三度訪れている。 1858(安政5)年旧暦5月、現在の根室を出発し、案内のアイヌ数名と海岸沿いに舟で北上、シュンベツ(現・尾岱沼)、ノツケ(現・野付半島)、シベツ(現、標津町)、海岸沿いをチトルエ(羅臼町共栄)へ、そして知床半島のラウシ(現・羅臼町)を経て、そこから舟で半島沿岸を調査し半島の突先を廻り、斜里町に至る「知床日誌」1863(文...
蝦夷地を北加伊道とし、カイをアイヌ語でこの地に生まれた人の意味で、 海の字をあてて、北海道としたのが松浦武四郎です。 つまり今年は北海道150年ですので、 松浦武四郎にとっても記念すべき年だと思います。 ちなみに北海道には松浦の碑がたくさんあるそうです。
北海道の名付け親の碑
オロンコ岩のトンネルを抜けた駐車場に建っていました。 28歳で、蝦夷地(現在の北海道)へ向かい、 約13年間に計6回の調査を行ったそうです。 明治政府から蝦夷地に代わる名称を依頼され 当初は「北加伊道」とつけられ「北の大地に住む人の国」という意味であり、 その後「加伊」が「海」に変わったそうです。
北海道の名付け親。こんなところに碑があるとは…
【高評価したい点】 ・北海道の功労者をしっかり評価し後世に評価しており、碑の隣の開設も詳しい。北海道開拓に貢献し、千島列島・樺太・北海道の研究に従事。碑は知床に訪れた際に詠んだ句が刻まれている。 【低評価したい点】 ・無し 【その他】 ・オロンコ岩を抜け、有料駐車場の端に有。なかなか観光客がいないので、穴場なのだろう。
北海道では有名な方
オロンコ岩のトンネルぬけて右手です。近くのホテルに宿泊中、ホテルから夕日は見られないというので、徒歩で散策中発見。無知で、この方がわからずネットで検索。開拓者だったのですね。この碑の上にカモメがとまっていてオブジェ?と思ったら、飛んで行ってしまいました。なかなかの名場面でした。
北海道の名付け親
北方探検家で北海道の名付け親でもある松浦武四郎 は、知床にも三度訪れている。 1858(安政5)年旧暦5月、現在の根室を出発し、案内のアイヌ数名と海岸沿いに舟で北上、シュンベツ(現・尾岱沼)、ノツケ(現・野付半島)、シベツ(現、標津町)、海岸沿いをチトルエ(羅臼町共栄)へ、そして知床半島のラウシ(現・羅臼町)を経て、そこから舟で半島沿岸を調査し半島の突先を廻り、斜里町に至る「知床日誌」1863(文...
北海道命名の偉人
蝦夷地を北加伊道とし、カイをアイヌ語でこの地に生まれた人の意味で、 海の字をあてて、北海道としたのが松浦武四郎です。 つまり今年は北海道150年ですので、 松浦武四郎にとっても記念すべき年だと思います。 ちなみに北海道には松浦の碑がたくさんあるそうです。